展望客車(マイテ49) 最終確認時期:2008年8月

SLやまぐち号、このように本務機のC57にC56が重連補機、またはプッシュプルとなる日がたまにあります。このような日に連結されるビッグなプレゼントとは…。

1等展望車マイテ49。登場以来70年を経た今もなお、本線に出れば抜群の注目を浴びる文字通り「走る文化財」であります。

私の世代の記憶では、大阪交通科学館(現:交通科学博物館)に保存されているイメージなのですが、国鉄からJRに変わる数カ月前に当時の鷹取工場で復活修繕工事を受け、1987年3月31日「旅立ちJR西日本」号として、12系客車が連なる殿に堂々連結され、東京駅のホームを出て行きました。

私も同列車乗りたさに応募したのですが、100倍とも1000倍とも言われた競争率の前に当然ながらハズレ。TVから、その出発風景を眺める側でありました。

折り返し留置中の編成をストンと撮ってみると、いやぁこれは独特の風格ですね。ヘタなりにどう撮ってもサマになるのは素材が良いから、なんでしょうね。

展望車といえば、展望デッキ部分での見送りが有名ですが、現在は転落事故防止のため、登場時より嵩上げがなされています。デッキの柵の太さが不自然に太い場所で何となく判ると思います。「SLやまぐち」号として運転される場合、デッキへの出入りはできません。

ドアの側から。出入口上には堂々の「1等」の文字。現在、JR旅客車両のクラス基準では「ロ」がグリーン・A寝台扱いの最上等となっており、復活時の「イ」の扱いも検討されたようですが、「ロ」に準ずる特別車両扱いで特に形式呼称は変えず今に至っています。

なお、マイテ49は「SLやまぐち」号に連結される場合、フリースペース扱いとなり、同列車の指定席券を持っていれば誰でも利用できる車両です。勿論、人気ありますので、下り方向列車では大抵満席ギチギチ出発ですねぇ。立ったり座ったり、色々場所を変えて楽しんでみるには、上り方向列車が良いように思えます。

マイテのドアは封鎖されているので、他の車両から乗り込んで車内通路を移動することとなります。念のため。

「SLやまぐち」号の項で、機関車前面から撮っているものと見比べてみると、トレインマークの図柄が異なっています。この列車、キャンペーンなどに連動して時折デザインを変えたマークを使っていますねぇ。

それでは、車内へ入ってみましょう。デッキ側から、展望室側を望む形で撮ってみました。白熱灯と扇風機のみ、高い天井が印象的ですね。床面はカーペット敷き、座席区画は左右6列、12名のスペースです。

木目で割とシンプルな壁、白い天井部、鮮やかなすおう色のモケットに白いカバー、コントラストの妙ですね。

座席室のみをデッキ方向に向けてみると、仕切扉上部になにやらグリルが見えますが、これが冷房の吹出口になります。この辺は後ほど詳細を紹介します。

展望室部分。「やまぐち」フォーメーションとも言うべきソファ外向き配置がなされていますが、ご存じの通り、本来ソファは窓側を背にして真ん中に向き合うようにして配置するのが所定です。フリースペース故、ここに長時間居座る人も居るには居ますが、その原因はこのソファ配置があるとは思います。

配置によって、結果的に通路と、着座して外を眺めるパーソナルスペースが分けられるような状況になってしまったのですから、問題も宜なるかな。所定の配置通りにしておけば、気まずさで多少は居座りがやりづらくなるとは思いますけどね。

何より印象的なのは、展望デッキに面した側の一面のガラス張り壁面。この開放感が展望車の所以と言っても過言ではないと思います。

座席区画を斜め撮り。このように穏やかに進行方向外側を向けた状態でセットされていたようです。勿論、当時の1等ですから、乗り合わせる人はいわゆる「上流階級」の人々。お互い顔を知ったようなクラスの人の社交場の趣もあったでしょう。

そのような面々が集まれば、内側に座席を向き合いにして使ったことでしょう。

座席部分。自由回転のソファ調シートが並んでいます。シートピッチで見れば前席との間隔は900mm。おおよそ進行方向に向けて使うものではありません。

座り心地ですが、詰物とスプリングの効いた古典的な座り心地です。座布団は底面基部とクッション部が別誂えとなっており、しっかりしたバウンス感や受け止め感を持っているのですが、背ズリ形状などは長時間の着席には向いてないのではないかな、と思っています。横幅はしっかり取られているのですが、肘掛の幅についてはもう一声、と思う人が出るかも知れません。

窓側を向けるとこんな感じ。テーブルは、元々折り畳み可能なタイプだったようですが、復元工事を機に固定式に取り替えられてしまったようです。

ここら辺に座って、3軸ボギー台車のジョイント音を楽しむのも楽しいものであります。

座席区画と展望室の間には、緩衝地帯のごとくボックス席があります。ある程度まとまった人数となれば、こちらがあてがわれたのかも知れません。

展望車は、形式ごとに微妙に車内の座席や設備配置が異なっており、仮に当時マルスが存在していたら車両交換時は大変だったんだろうなぁ、と思わずにいられません。

私は、故あってマイテ39が大井工場に保存されていた時期に中を拝見したことがありますが、座席配置がまるっきり違ってますからね…。似通ってるなぁ、と思うのは展望室の面積くらい(苦笑)。

テーブルは大きいのですが、荷棚がありません。

この場所が車両のちょうど真ん中。元々3軸台車というだけでも、乗り心地がとても安定して良いのですが、さらにこの場所がスイートスポット。ローカル線路でさえ、滑るような乗車感を味わえます。

足元の暖房配管カバーも、単なるパンチング処理ではなく、細かい意匠が彫り込まれているなど、造り込みの良さが光ります。車内各所、目をこらすと、1箇所1箇所、やはり最上等客車としての細かい造りの良さを感じられる場所があります。

展望室天井部。換気用ルーフには美しい文様のカバーが取り付けられています。優雅ですね。

天井部・壁面のライティングも凝ったものでして、トンネルに入ったときなどにその効果が実感できると思います。

出入りデッキ側の仕切扉上にはこのようなカバーが見えますが、この中には冷房吹出口が仕込まれており、夏期運転時は冷風がここから出てきます。

しかし、家庭用途機のため、面積に対しあまりに能力が不足しており、その実は気休めにもなりません。強いて言えば、座席区画のデッキ寄り2〜3列くらいであれば、扇風機と相まって効果を実感できる区画といえます。それ以外?勿論、夏も冬も半年ずれたエアコン効果の前にガマン大会です。

尤も、窓を開ける人が続出するので、冷房も殆ど意味がないのですが…。

一応、コントローラー部分も撮ってみました。やったね、三菱電機(笑)。

当たり前の話ですが、製造当時は非冷房車。その後、車軸発電機による冷房装置を搭載し、後に本格的な冷房改造がされています。このユニットは、復活工事の頃に取り付けられたとの由。

座席区画から乗降デッキに向けて、間にはこのような通路があります。左がトイレ、右が乗務員室と洗面台です。

この車両で観察してみると、皮肉にもいわゆるマニアさんと思われる方が仕切扉の取り扱い一つとっても丁寧なんですね。やはり知っている人と知らない人の違いか…と思わないでもありません。

洗面台を覗き込んでみると、温冷水ボタン、ミラー、ちょっと凝った灯具が見えますね。洗面台の下が配管丸見えなのはご愛敬。

洗面台右側にはこのようなレバーがあります。貯めた水を排水するレバーです。

出入扉部分です。経年で傷んでいることもあるのか、扉は固定されて出入りできないようになっています。

本来、貴賓車に次いで特別扱いされるべき区分の車両、経年補修との戦いもある中で、座席指定券(と乗車券)だけで体験できるチャンスを提供し続けるJR西日本の努力には心から敬意を送りたく感謝しながらの乗車でありました。

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