0系電車 最終確認時期:2002年2月

「新幹線の存在がなかったら…」と言う仮定話は趣味でも仕事でもよく出る話(笑)ですが、その高速運転を営業として成立させた主役の0系も今は山陽新幹線で「こだま」を中心に細々とかつキュート&マニアックな姿で走っています。

引退時点で、JR西日本の0系は大別すると2つに分かれます。1つは改座を受けながらも2&3配列の伝統的な姿で走ってきているグループ(R編成)、もう1つは「ひかりレールスター」が現れるまで0系運用の看板列車だった「ウエストひかり」用の改造車(WR編成)です。

これが伝統的な無段階メカニカルロックのリクライニングシート、D23です。写真は博多南線に乗ったときのもので、座席の布地色がオリジナルのモノに変わっています。

だからどうした、と言われても困ってしまいますが…。ちなみに、東北・上越新幹線の200系のD21・D31と合わせると日本リクライニングシート(日本発条)製造分がかなりの数あるようです。

3人掛はD32が設置されていました。さて、このD23/32ですが、とかく簡易リクライニングシートの「お仲間」としてどちらかと言えば嫌われ者ですが、座席というアーキテクチャ的に見るとこれが実に良くできたものです。そりゃ、背面下部のカバーが厚ぼったくて脚が伸ばせない、と言う決定的な弱点こそありますが…。

人間の背面形状にフィットすることを座席機能の目標とすると、これはその目標にかなり迫った一品であると思います。しっかり腰掛ると、最終的に後頭部がヘッドレストに落ち着くようになっています。恨まれるべきは、シートピッチ(と重量も…か)の制約で3列席が回転できなかったことと、後部に背面テーブルの脚台を兼ねてしまった故の巨大カバーが来てしまったことです。

JR西日本の0系における座席の選択肢は、ウエスト編成を除くと事実上D23/31かこのWRK215かというものしかありませんでした。そのため、山陽地区では地味〜ぃにメジャーなリクライニングシートであったことは確かです。比較的深いリクライニング角と、普通席にしてはそこそこの質感でJR東日本200系のR62改座車との対極にある座席です。

しかし、JR東海から大量に流入した100系と自社のV編成の引退が絡み、後述のR35A改進出著しき100系に押される形で(今更)WRK202への改座が進捗。これにより一転マイナー座席へと追いやられてしまいました。

3人掛もR71の対極にある座席となり、回転が可能になることで居住性の不均衡感は緩和されるようになりました。0系にして100系の座り心地を、という目標があったらしく、掛心地は通路側が妙に幅狭く、またやや硬め基調ながら充分に納得できるモノであると思います。

しかし、こちらも0系自体の編成数もさることながら、2&2化の進行でマイナーになりつつあります。新大阪駅では乗りいれ枠(本数)の関係もあり、時間帯を見計らわなければ出会えないマイナー席になっています。

JR移行後、山陽新幹線では航空機との熾烈なシェア合戦が待っていました。その挽回策として打ち出したのが新幹線だからできるアメニティの提供、その回答が「ウエストひかり」でした。

座席を2&2の4アブレスト広めの座席に改座し、ビュッフェによる軽食コーナーやシネマ車両(一時期)など多彩なサービスがありました。関東に住んでいるとどう頑張っても乗るチャンスは少なく、あこがれの列車の1つ(苦笑)であったことを思い出しました。

これがそのWRK202です。一見、JR東海で一時期設置されていた「こだま2&2」のR56/57/58と似て無くもないですが、センターアームレストの広さや、全体にしっくりしたバランスデザインなど新幹線座席としてはかなりのモノであると思っています。

この精神が「レールスター」に引き継がれているのは間違いないところでしょう。座席としては、やや柔らかめの感触に意見が分かれそうです。

これがビュッフェの車両(3号車)に併設されている車いす対応座席です。座席脇に車いすを固定する金具とロープが見えます。

列車を問わず、この1人掛席はプライバシー的に2人掛より上と言うことで人気なのですが、新幹線のように幅が広いと自分の脇にガランとした空間があってちょっと…と思ってしまうのは私だけでしょうか?

デッキへの扉です。元々の座席より幅が広がったものの、仕切扉を工事するまでは…ということでそのままとなっています。

しかし、この写真左から2人目の席はちょっと落ち着かないスペースになりますね。このせいかどうかは別として、仕切ドアはセンサー式ではなくマット式を維持しています。この状態でセンサーにしたらちょっと動くだけでドアが動いてしまいますね、確かに。

0系の食堂車は私がこの趣味に入る前に過去帳入りしてしまい、撮影は行っていません。ビュッフェは比較的後期まで残っており、編成によってはこのようにほぼ原形に近い状態で残されていたものがあります。

反対側から見ると、手洗い台が手前側に残っているのが判ります。食堂車ほどの時間は掛けたくないが、ちょっと小腹を満たしたい、気分転換したい、というニーズにマッチした設備でありましたね。

かくいう私も、ビュッフェ営業編成だと、特に何の気がなくても遊びに行って飲み物の一つも頼んだモノです。

窓には薄手ですが、カーテンがありました。これは200系にも引き継がれた造り方ですね。

速度計は、針によるアナログ表示です。パッと見て120〜140km/hと、新幹線にしては文字通り「流し」の走行中だったことが判ります。

奥の方には調理コーナーを兼ねた業務用スペースがありました。これが本当の「流し撮り(殴)」。

ビュッフェ部分は、ウエスト編成ではミニサロンのようになっていました。営業は行っていませんが、座ってくつろぐのはかまわないようです。

私が乗ったのは岡山止まりの最終便だったせいか、通勤・出張らしき皆様が途中まで缶ビール片手に黄昏れていたり突っ伏していたり…と哀愁を通り越してシュール極まりない光景が繰り広げられていましたとさ。

出口近くには造花ながら花があったり、カード式公衆電話があったり…また100系から持ってきたらしき(あるいは同型番品か)のデジタル表示速度計を付けたりしていました。

デッキ部分には、0系が浜名湖を通過しているシーンの写真があります。その下のやけに白いカバー部分には冷水器があったのですが、撤去されてしまっていますね。

車両選択に戻る>>
座席データ座席クラス掛人数座席形式シートピッチ
普通2D23940mm
普通3D32940mm
普通(2000番台)2D23980mm
普通(2000番台)3D32980mm
普通(改座車)2WRK215940/980mm
普通(改座車)3WRK302940/980mm
普通(ウエスト仕様)1型番不詳980mm
普通(ウエスト仕様)2WRK201980mm
普通(ウエスト仕様)2WRK202980mm